フレデリック・S・パールズ(1893-1970年)は、ユダヤ人の精神科医であり、精神分析家でした。ヴィルヘルム・ライヒとカレン・ホーナイという精神分析医から教育分析を受けて、1932年に精神分析家の資格を得ました。
1936年、チェコのマリエンバートで開催された国際精神分析学会で、後の著書『自我・飢餓・攻撃性 Ego, Hunger & Aggression』(1942年)のもとになるアイデアを発表したのですが、フロイトや他の精神分析家たちからまったく認められなかったといいます。
パールズの発想に、フロイトの精神分析と相容れないものがあったから受け入れられなかったのでしょうが、憧れていた人物であるフロイトから受けた冷たいしうちは、パールズを酷く傷つけもしたようです。
このことがパールズとローラ(彼女も精神分析家でした)が、精神分析と決別して独自の心理療法を創設していくきっかけになったと言えます。
1946年には南アフリカを離れてアメリカに渡り、ローラ・パールズやポール・グッドマンらとともに、ゲシュタルト療法を発展させていきました。
ゲシュタルト療法には、パールズの分析家出会ったライヒやホーナイの影響があります。ライヒは、「有機体の自己調節」「性格の鎧」といったアイデアを提唱した人物で、身体から入る心理療法の基盤を作ったような人です。ホーナイは、ハリー・スタック・サリヴァンらとともに「新フロイト派」や「対人関係学派」に属する精神分析家です。
微細な緊張や自覚しない身振り、表情などの身体表現に注意を向けることや、他者との相互交流やコンタクトを重視するゲシュタルト療法の考え方は、パールズの師匠筋の精神分析家から受け継いだものでしょう。
ゲシュタルト療法のもう一つの基盤は、その名前が由来する「ゲシュタルト心理学」です。
「ゲシュタルト(gestalt)」とは、ドイツ語で全体性とか、個々の部分が一つの全体としてまとまっていく働きといったことを意味する言葉です。ゲシュタルト心理学では、人間は(人間だけでなく動物も)、世界や他者を「意味を持った全体」として認識するということが強調されます。
1950年代から60年代にかけて、ゲシュタルト療法は、アメリカで、エンカウンター・グループをはじめとしたさまざまなセラピーとともに、心理的な開放や意識の拡張のためのアプローチとして知られるようになりました。
ゲシュタルト療法は、「人間性心理学」や「体験的心理療法」といったムーブメントの中に位置づけられることが多いようです。
精神分析を始めとする心理療法は、主に言葉による表現や語りを重視してきました。
一方、パールズは、
「ゲシュタルト療法は、言葉や解釈のセラピーではなく、経験的なセラピーである」(パールズ『ゲシュタルト療法』倉戸ヨシヤ訳、ナカニシヤ出版)。
と言います。
言葉による語りは、たとえば、
「昨日、遅く帰えったらお父さんに大声で怒鳴られて、部屋にこもったんです」
といったものです。
ゲシュタルト療法のファシリテーターは、こうしたことが語られた際に、
「では目の前にお父さんがいると思って、そのとき言いたかったことを言ってみてください」
と勧めるかもしれません(エンプティ・チェアですね)。
「今、ここ」で、自分の心と身体を感じながら体験することで、「気づき」が生まれるし、人は変化するのだ、とパールズは考えました。
パールズは、来日して京都の大徳寺に2か月間滞在し、座禅を組んだこともあるようです。
ゲシュタルト療法の重視する「今、ここの気づき」は、禅やマインドフルネスとも共通するところがあります。
その後は、1960年代に始まったヒューマン・ポテンシャル運動の中心地だったエサレン研究所に住みついて(ローラとは1956年に離婚したそうです)、ゲシュタルト療法を実践して過ごしました(このあたりのことは、『エスリンとアメリカの覚醒』という本に詳しく書かれていました)。
なかなかエキセントリックな人物だったようです。
よく知られた「グロリアと3人のセラピスト」(カール・ロジャーズやアルバート・エリスと並んで、カウンセリングのデモンストレーションをしています)という映像でも、パールズの個性は際立っていましたね。
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